エコシステム戦略
技術的に優れた製品を市場に投入すれば、それだけで普及は約束されるのか。1990年代のハイビジョンテレビは、画質という点では申し分ない完成度に達していたにもかかわらず、放送規格や制作機材、コンテンツといった周辺プレイヤーの準備が整わなかったために、普及が長らく遅れた。この種の事例は、一社の努力だけでは市場は動かないという厳然たる事実を突きつける。
エコシステム戦略(Ecosystem Strategy)は、こうした問題意識のもとで発展してきた経営戦略の考え方であり、自社の競争力を、単独の製品・サービスの優劣ではなく、関係するプレイヤー群の連携という視点から捉え直すものである。新規事業開発やプラットフォームビジネスの構築支援に携わるコンサルティング業務において、この考え方の背景と実務上の留意点を理解しておく意義は大きい。
エコシステム戦略とは
今日広く知られる「ビジネス・エコシステム」の概念を経営戦略の文脈で提示したのは、米国の経営思想家ジェームズ・F・ムーア(James F. Moore)氏である。
1993年、同氏はハーバード・ビジネス・レビュー誌に「Predators and Prey: A New Ecology of Competition」と題する論文を発表し、企業を生物学的な生態系になぞらえ、競合他社を含む多様なプレイヤーが共進化する経済共同体として捉える視座を提示した。この論文は同誌のマッキンゼー賞(その年のベストアーティクルに贈られる賞)を受賞しており、後に1996年の著書『The Death of Competition』へと発展している。
ムーア氏の議論を土台に、経営戦略論としての「エコシステム戦略」をより実務的に体系化したのが、ロン・アドナー(Ron Adner)氏である(現在は米ダートマス大学タック経営大学院教授。2006年の論文発表当時はフランスのINSEAD(欧州経営大学院)に在籍していた)。
アドナー氏は2006年、ハーバード・ビジネス・レビュー誌に発表した論文「Match Your Innovation Strategy to Your Innovation Ecosystem」の中で、革新的な製品を持つ企業であっても、それを取り巻く補完財提供者(コンプリメンター)や流通経路といった周辺プレイヤーの準備状況が整わなければ、イノベーションは市場で成功しないと指摘し、共同イノベーション・リスク(自社の提供物に必要な補完的な技術革新が実現するかどうかのリスク)と、採用連鎖リスク(顧客に届くまでの各段階のプレイヤーが新しい提供物を受け入れるかどうかのリスク)という二つの観点から、イノベーション戦略をエコシステムの実態に適合させるための評価枠組みを示した。
エコシステム戦略の境界条件として押さえておきたいのは、単に「他社と協業すること」全般を指す言葉ではないという点である。従来型のアライアンスや業務提携が、特定の相手との一対一の関係を前提とすることが多いのに対し、エコシステム戦略は、多数のプレイヤーからなるネットワーク全体の構造や、価値創出の連鎖をどう設計するかという、より広い視座に立つ点に特徴がある。
自社が中心的な役割を担う場合もあれば、既存のエコシステムの一員として特定の価値を提供する立場に回る場合もあり、自社が常にネットワークの中心に位置するとは限らない。米ハーバード・ビジネス・スクールのマルコ・イアンシティ(Marco Iansiti)氏らは2004年の著書『The Keystone Advantage』で、こうしたネットワークの中で中核的な役割を担う企業を「キーストーン(要石)」と呼び、その役割の重要性を論じている。
| 論者・年 | 主な貢献 |
|---|---|
| ジェームズ・F・ムーア(1993年) | 企業間関係を生物学的な生態系になぞらえ、「ビジネス・エコシステム」の概念を提唱 |
| マルコ・イアンシティ/ロイ・レビーン(2004年) | エコシステムの中核的な役割を担う企業を「キーストーン」として理論化 |
| ロン・アドナー(2006年) | 共同イノベーション・リスクと採用連鎖リスクを整理し、実務的な評価枠組みを提示 |
具体例/ミニケース
決済端末を開発するX社の事例で考えてみる。X社は、非接触型決済に対応した高性能な端末を独自に開発したが、実際にこの端末が普及するには、加盟店側の決済システムがこの規格に対応していること、クレジットカード会社や銀行が対応済みであること、そして消費者が対応するカードやスマートフォンを保有していることという、複数条件が同時に満たされる必要があった。
端末の性能をいくら磨いても、こうした周辺条件が整わなければ、市場は動かない。そこでX社は、自社の技術開発だけに投資を集中させるのではなく、加盟店向けの導入支援プログラムの提供、カード会社との共同キャンペーンの実施、消費者への普及啓発活動という三つの取組みを並行して進めた。
特に、業界内で信頼を得ている大手カード会社との協業を早期に実現したことが、他の加盟店やカード会社の追随を促す起点となった。この事例が示すのは、エコシステム戦略における成功は、自社製品の技術的優位性だけでなく、関連するプレイヤーが同じタイミングで動き出す環境をどう作るかという、いわば「タイミングの設計」にかかっているという点である。
プラットフォーム戦略・バリューチェーンとの違い
エコシステム戦略は、企業間関係を扱う他の戦略論の枠組みとしばしば同一視されてしまう。だが、それぞれが着目する対象や関係性の性質は異なっている。
| 枠組み | 関係性の性質 | 主眼 |
|---|---|---|
| エコシステム戦略 | 多数のプレイヤーによる非階層的・相互依存的な関係 | 価値創出に必要なプレイヤー群全体の連携をどう設計するか |
| プラットフォーム戦略 | 基盤提供者と、その上で活動する多数の参加者との関係 | 基盤(プラットフォーム)を軸にした需給両側のマッチング |
| バリューチェーン | 上流から下流への直線的・一方向的な関係 | 自社内の各機能・工程における付加価値の創出 |
コンサルティング業務での位置づけ
論点設計(イシュー出し)
新規事業開発のプロジェクトでは、対象となる製品・サービスの価値実現に、社外のどのプレイヤーの動きが不可欠かという洗い出しが、初期段階の重要な論点となる。コンサルタントは、自社だけで完結する事業なのか、それとも他社の動向に成否が左右される事業なのかを見極める役割を担う。
現状分析(As-Is整理)
現状分析のフェーズでは、対象事業に関わり得るプレイヤー(サプライヤー、補完財提供者、規制当局、業界団体等)を洗い出し、それぞれの利害や、事業の実現に向けた準備状況を整理する。アドナー氏の枠組みに沿って、共同イノベーション・リスクと採用連鎖リスクの両面から、事業を停滞させ得る要因を特定する作業もこの段階で行われる。
施策設計(To-Be)
施策設計の段階では、各プレイヤーが動き出すタイミングをどう揃えるか、自社が中核的な役割(キーストーン)を担うのか、それとも他社が主導するエコシステムに参加する側に回るのかといった、立ち位置の選択肢を整理する。あわせて、主要なプレイヤーを早期に巻き込むための提携・協業のシナリオを設計する。
資料作成(スライド構造)
経営層向け資料では、自社を中心に関連プレイヤーを円環状または階層状に配置したエコシステムマップと、各プレイヤーの準備状況・巻き込みの優先順位を示す一覧表をセットで示す構成が定番である。関係性の全体像と、実行上のボトルネックを一枚で確認できる構造にすることで、経営層が意思決定をしやすくなる。
導入メリットと注意点
エコシステム戦略を採用する利点は、自社単独では実現し得ない規模のイノベーションや市場創出を、複数のプレイヤーの力を組み合わせることで可能にできる点にある。関連するプレイヤーとの関係を早期に構築しておくことで、後発企業に対する参入障壁を築ける場合もある。
一方で、留意すべき点も多い。第一に、関わるプレイヤーの数が増えるほど、そのうちの一社でも準備が遅れれば全体の成否に影響が及ぶという、アドナー氏が指摘した構造的なリスクを抱える。
第二に、自社がエコシステムの中核的な立場を築けない場合、他社が主導する枠組みの中で従属的な役割にとどまるリスクもある。
第三に、多数のプレイヤーの利害を調整するには相応の時間とコストがかかり、単独で意思決定できる従来型の事業展開と比べて、スピード感に欠ける局面も生じやすい。
これらを踏まえ、実務では、関わるプレイヤーの範囲をむやみに広げず、事業の成否を左右する重要なプレイヤーに絞って優先的に関係構築を進める姿勢が重視されている。
コンサル採用面接で問われる理由
コンサルティングファームの採用面接で、エコシステム戦略という用語そのものがそのまま問われることは多くない。ただし、新規事業やプラットフォームビジネスをテーマにしたケース面接では、自社だけで完結しない事業をどう成功させるかという論点が扱われることがあり、その際に「関連プレイヤー全体の動きをどう揃えるか」という発想を持っているかどうかが、回答に厚みを与える。
単に「良い製品を作る」という発想にとどまらず、周辺プレイヤーの準備状況まで含めて成否を捉えられると、議論の説得力が高まる。こうした視点を備えておくことは、ケース解答の質を底上げする一助になる。個々の学術的な議論の細部まで押さえておく必要はなく、自社の成功が他社の動き次第で左右されるという相互依存の構造をどう見極めるかという考え方の骨格を理解しておけば、面接の議論の中で自然に応用できる。
FAQ
Q1. エコシステム戦略とは、どのような考え方か。
エコシステム戦略とは、自社単独ではなく、サプライヤーや補完財の提供者、顧客等、複数のプレイヤーが織りなす相互依存のネットワーク全体を設計・調整することで、競争優位を築こうとする経営戦略である。
英語表記はEcosystem Strategyであり、1993年にジェームズ・F・ムーア氏がハーバード・ビジネス・レビュー誌で提示した「ビジネス・エコシステム」の概念を起点として、その後2006年にロン・アドナー氏が同誌で発表した論文を通じて、より実務的な戦略論として体系化された。
Q2. エコシステム戦略とプラットフォーム戦略とは、何が違うのか。
最も大きな違いは、関係性の構造にある。プラットフォーム戦略は、基盤を提供する企業と、その上で活動する参加者(供給者・利用者)との間のマッチングに主眼を置く。
これに対しエコシステム戦略は、特定の基盤を前提とせず、サプライヤーや補完財提供者、規制当局等、より多様で非階層的な関係にある複数のプレイヤー全体をどう調整するかという、より広い視座に立つ考え方である。プラットフォームは、エコシステムを構成する一つの要素として位置づけられる場合もある。
Q3. エコシステム戦略は、どのような手順で検討するのか。
実務における一般的な手順は、まず対象事業の価値実現に不可欠なプレイヤーを洗い出すことから始まる。次に、各プレイヤーが抱えるリスク(共同イノベーション・リスク、採用連鎖リスク)を評価し、事業を停滞させ得るボトルネックを特定する。
特定したボトルネックに対し、自社が主導的な役割を担うか、他社との提携を通じて解決を図るかを検討し、重要なプレイヤーから優先的に巻き込みながら、関係構築のタイミングを設計していく。
Q4. コンサルティングプロジェクトでは、エコシステム戦略はどのように扱われているのか。
コンサルティングの現場では、新規事業やプラットフォームビジネスの立ち上げに際して、関連プレイヤーの洗い出しやリスク評価を支援する場面でこの考え方が用いられる。
また、既存事業が想定通りに拡大しない要因を分析する際に、自社の努力不足ではなく、周辺プレイヤーの準備不足が真因であるかどうかを検証する視点としても活用される。
Q5. エコシステム戦略について、どのような誤解が生じやすいのか。
よくある誤解の一つは、多くの企業と提携すればするほどエコシステム戦略として優れていると考えてしまうことである。実際には、関わるプレイヤーが増えるほど調整の難易度とリスクは高まるため、事業の成否を左右する重要なプレイヤーを見極め、優先順位をつけて関係を構築することが求められる。
もう一つの誤解は、エコシステム戦略が常に自社が中心的な役割を担うことを前提としていると考えてしまうことであり、実際には他社が主導するエコシステムに参加する側として価値を提供する選択肢も含まれる。
Q6. エコシステム戦略の考え方は、どのような分野で活用が広がっているのか。
モビリティ、ヘルスケア、金融、スタートアップ支援等、複数の異なる業界のプレイヤーが連携しなければ価値が実現しない領域で、この考え方の活用が広がっている。
日本でも、内閣府が関係府省庁と連携して「スタートアップ・エコシステム拠点都市」の形成を進めるなど、企業単体ではなく、大学や自治体、投資家を含めた地域単位のエコシステム形成という文脈でも、この考え方が政策的に応用されている。
まとめ(実務整理)
エコシステム戦略は、自社単独ではなく、サプライヤーや補完財の提供者、顧客等、複数のプレイヤーが織りなす相互依存のネットワーク全体を設計・調整することで、競争優位を築こうとする経営戦略である。
1993年のジェームズ・F・ムーア氏による提唱を起点に、2006年のロン・アドナー氏による実務的な体系化を経て、現在では新規事業開発やプラットフォームビジネスの検討に広く応用されている。
プラットフォーム戦略やバリューチェーンとは、関係性の構造という点で異なる概念である点を理解しておくと、企業間関係に関する議論の見取り図がつかみやすくなる。
コンサルティング業務との関係でいえば、自社の成否が周辺プレイヤーの動き次第で左右されるという相互依存の構造を見極める視点が、新規事業関連プロジェクトにおいて参考になる。
採用面接との関係でいえば、学術的な議論の細部を暗記する必要はなく、関連プレイヤー全体の動きをどう揃えるかという考え方の骨格を押さえておけば、十分な知識基盤となる。
出典
- Harvard Business Review「Predators and Prey: A New Ecology of Competition」(James F. Moore, 1993年)
https://hbr.org/1993/05/predators-and-prey-a-new-ecology-of-competition - Harvard Business Review「Match Your Innovation Strategy to Your Innovation Ecosystem」(Ron Adner, 2006年)
https://hbr.org/2006/04/match-your-innovation-strategy-to-your-innovation-ecosystem - 内閣府「世界と伍するスタートアップ・エコシステム拠点都市の形成」
https://www8.cao.go.jp/cstp/openinnovation/ecosystem/index.html
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