ダイナミック・ケイパビリティ
かつて業界を代表する存在だった企業が、優れた経営資源を保有していたにもかかわらず、なぜ環境変化に取り残されてしまうのか。この問いは、1990年代の経営学において重要な論点のひとつであった。当時主流であった経営資源に基づく戦略論(リソース・ベースト・ビュー)は、企業が保有する価値ある経営資源そのものに競争優位の源泉を求めていたが、環境変化の速い業界で優れた資源を持つ企業が没落していく現象については、資源の保有状況だけでは十分に説明しきれない面があった。
ダイナミック・ケイパビリティ(Dynamic Capabilities)という概念は、こうした問題意識を踏まえてリソース・ベースト・ビューを発展・補完する形で登場し、資源の保有そのものに加えて、資源を環境変化に応じて機動的に組み替える能力に着目する視座を提示した。企業の変革支援や組織能力の評価に携わるコンサルティング業務において、この理論の骨格と構成要素を理解しておくことは実務上の意義を持つ。
ダイナミック・ケイパビリティとは
ダイナミック・ケイパビリティという用語を経営学の理論として初めて体系的に提示したのは、カリフォルニア大学バークレー校ハース・スクール・オブ・ビジネスのデビッド・J・ティース(David J. Teece)氏、ハーバード・ビジネス・スクールのゲイリー・ピサノ(Gary Pisano)氏、サンノゼ州立大学のエイミー・シュエン(Amy Shuen)氏の三名である。
三氏は1997年、学術誌ストラテジック・マネジメント・ジャーナル(Strategic Management Journal)に「Dynamic Capabilities and Strategic Management」と題する論文を発表した。この論文は、戦略経営学会(Strategic Management Society)が贈るストラテジック・マネジメント・ジャーナル最優秀論文賞を受賞しており、経営戦略論の分野で最も引用される論文のひとつに数えられている。
同論文では、ダイナミック・ケイパビリティを「急速に変化する環境の要請に適合するよう、内部・外部の組織的スキルや資源、機能的な能力を統合・構築・再構成する企業の能力」と定義した。ここでいう「ダイナミック」とは、変化する事業環境に適応するために能力を刷新し続けるという意味であり、「ケイパビリティ」とは、単なる経営資源の保有にとどまらず、経営陣がその資源を環境変化に応じて適切に組み替えていく組織的な力量を指す。
ティース氏は、2007年に単著で発表した論文「Explicating Dynamic Capabilities: The Nature and Microfoundations of (Sustainable) Enterprise Performance」の中で、この能力をより具体的な3つの要素に分解した。すなわち、事業機会や脅威を察知する「センシング(Sensing:感知)」、察知した機会を捉えて新たな製品・サービス・プロセスとして具体化する「シージング(Seizing:捕捉)」、そして既存の経営資源や組織構造を環境変化に応じて組み替える「リコンフィギュアリング(Reconfiguring:再構成)」の3要素である。
この「センシング・シージング・リコンフィギュアリング」という枠組みは、現在に至るまでダイナミック・ケイパビリティ論の中核として広く参照されている。なお、この3要素は一方向に進む工程ではなく、相互に循環しながら継続的に繰り返される能力として理解される点にも留意が必要である。
ダイナミック・ケイパビリティは、既存事業を効率的に運営する「オーディナリー・ケイパビリティ(通常能力)」と対比されることが多い。オーディナリー・ケイパビリティは、既存の業務プロセスを安定的かつ効率的にこなす能力であり、日々のオペレーションの巧拙を左右する。
これに対しダイナミック・ケイパビリティは、そのオーディナリー・ケイパビリティ自体を環境変化に応じて刷新していく、いわば一段上の能力として位置づけられる。両者は対立する概念ではなく、環境が安定している局面ではオーディナリー・ケイパビリティが、環境が大きく変化する局面ではダイナミック・ケイパビリティが、それぞれ重要性を増すという関係にある。
| 要素 | 内容 |
|---|---|
| センシング(Sensing) | 市場や技術の変化、新たな事業機会や脅威を察知する能力 |
| シージング(Seizing) | 察知した機会を捉え、新たな製品・サービス・事業として具体化する能力 |
| リコンフィギュアリング(Reconfiguring) | 既存の経営資源・組織構造・業務プロセスを環境変化に応じて組み替える能力 |
具体例/ミニケース
老舗の印刷機器メーカーA社の事例で考えてみる。A社は長年、紙媒体向けの印刷機器で高い技術力とシェアを誇っていたが、デジタル化の進展により紙媒体市場が縮小し、既存の経営資源だけでは成長を維持できない状況に直面していた。
A社はまず、営業部門や技術部門が個別に把握していた顧客の課題やデジタル関連技術の動向を、経営層が定期的に集約・分析する仕組みを整えた(センシング)。
次に、集約した情報をもとに、既存の印刷技術で培った精密機械制御のノウハウを応用し、医療機器分野向けの精密加工装置という新規事業を立ち上げた(シージング)。
この過程で、印刷機器事業に最適化されていた開発体制や人員配置を、新規事業に合わせて再編成し、必要な人材の中途採用や部門間異動も並行して進めた(リコンフィギュアリング)。
この事例が示すのは、ダイナミック・ケイパビリティが、単に新しい事業機会を見つけることだけでなく、それを実行するために既存の組織そのものを作り変える力を含む概念であるという点である。
オーディナリー・ケイパビリティ・リソース・ベースト・ビューとの違い
ダイナミック・ケイパビリティは、経営資源や組織能力に着目する他の経営理論としばしば混同される。だが、それぞれが焦点を当てる能力の性質は異なっている。
| 概念 | 焦点 | 想定する環境 |
|---|---|---|
| ダイナミック・ケイパビリティ | 経営資源や組織能力を環境変化に応じて組み替える能力 | 急速に変化する事業環境 |
| オーディナリー・ケイパビリティ(通常能力) | 既存の業務を効率的・安定的に遂行する能力 | 比較的安定した事業環境 |
| リソース・ベースト・ビュー(資源に基づく戦略論) | 価値があり、希少で、模倣困難な経営資源そのものの保有 | 資源の優位性が持続しやすい環境 |
コンサルティング業務での位置づけ
論点設計(イシュー出し)
事業変革や組織開発のプロジェクトでは、クライアント企業の課題が、既存事業の効率化(オーディナリー・ケイパビリティの強化)にあるのか、それとも環境変化への適応力そのもの(ダイナミック・ケイパビリティの強化)にあるのかという切り分けが、初期段階の重要な論点となる。コンサルタントは、業界の変化速度や自社の対応実績を踏まえ、どちらに重点を置くべきかを見極める役割を担う。
現状分析(As-Is整理)
現状分析のフェーズでは、センシング・シージング・リコンフィギュアリングの3要素それぞれについて、自社の現状を棚卸しする。市場情報の収集・分析体制、新規事業の意思決定プロセス、組織再編の実行スピード等を確認し、どの要素に課題があるかを可視化する作業が中心となる。
施策設計(To-Be)
施策設計の段階では、課題が明らかになった要素を強化するための具体的な施策を検討する。例えばセンシングの強化であれば市場情報の収集体制の整備、リコンフィギュアリングの強化であれば意思決定権限の見直しや人材配置の柔軟化といった打ち手が候補となる。
資料作成(スライド構造)
経営層向け資料では、センシング・シージング・リコンフィギュアリングの3要素ごとに自社の現状と課題を整理した診断結果と、それぞれを強化するための施策一覧をセットで示す構成が定番である。
3要素のバランスを一枚で確認できる構造にすることで、経営層が投資の優先順位を判断しやすくなる。
導入メリットと注意点
ダイナミック・ケイパビリティという視座を取り入れる利点は、経営資源の保有状況だけでなく、その資源をどう活用・再編していくかという組織的な力量にまで目を向けられる点にある。
環境変化が速い業界において、単なる資源の優位性だけでは説明できない企業間の業績格差を分析する際の、有効な視点を提供する。
一方で、留意すべき点も少なくない。第一に、ダイナミック・ケイパビリティは目に見える資産とは異なり、組織文化や意思決定プロセスに根差した無形の能力であるため、外部から客観的に測定・評価することが難しい。
第二に、センシング・シージング・リコンフィギュアリングという3要素は相互に関連し合っており、いずれか一つだけを強化しても、組織全体の適応力向上には結びつきにくい場合がある。
第三に、理論の抽象度が高いため、実務に落とし込む際には、自社の状況に即した具体的な指標や取組みへの翻訳作業が必要になる。
これらを踏まえ、実務では、3要素を個別に評価しつつも、組織全体としての一貫性を意識しながら施策を設計することが重視されている。
コンサル採用面接で問われる理由
コンサルティングファームの採用面接で、ダイナミック・ケイパビリティという用語そのものがそのまま問われることは多くない。
ただし、企業変革や組織論をテーマにしたケース面接では、環境変化に適応できる企業とできない企業の違いをどう説明するかという論点が扱われることがあり、その際に「資源の保有そのものよりも、資源を組み替える力に着目する」という発想を持っているかどうかが、回答の説得力を左右する。
単に「良い経営資源を持つ企業が強い」という発想にとどまらず、その資源をどう機動的に活用するかという視点まで語れると、議論に厚みが生まれる。
こうした視点を備えておくことは、ケース解答の質を底上げする一助になる。センシング・シージング・リコンフィギュアリングという用語を逐一暗記しておく必要はなく、環境変化への適応力は組織能力そのものだという考え方の骨格を理解しておけば、面接の議論の中で活用できる。
FAQ
Q1. ダイナミック・ケイパビリティとは、どのような概念か。
ダイナミック・ケイパビリティとは、急速に変化する事業環境に対応するため、企業が保有する経営資源や組織能力を感知し、機会を捉え、絶えず再構成していく組織的な能力を指す経営学の概念である。
英語表記はDynamic Capabilitiesであり、1997年にデビッド・J・ティース氏、ゲイリー・ピサノ氏、エイミー・シュエン氏がストラテジック・マネジメント・ジャーナル誌で発表した論文で体系的に提示された。2007年にはティース氏が単著論文で、この能力をセンシング・シージング・リコンフィギュアリングという3要素に分解している。
Q2. ダイナミック・ケイパビリティとリソース・ベースト・ビューとは、何が違うのか。
最も大きな違いは、競争優位の源泉をどこに求めるかにある。リソース・ベースト・ビューは、価値があり、希少で、模倣が困難な経営資源そのものの保有に競争優位の源泉を求める。
これに対しダイナミック・ケイパビリティは、資源の保有だけでなく、その資源を環境変化に応じて感知・捕捉・再構成していく組織的な力量に着目する点で異なる。ダイナミック・ケイパビリティは、リソース・ベースト・ビューを補完する形で発展してきた理論として位置づけられる。
Q3. ダイナミック・ケイパビリティは、どのような手順で強化するのか。
実務における一般的な手順は、まずセンシング・シージング・リコンフィギュアリングの3要素それぞれについて、自社の現状を棚卸しすることから始まる。
次に、課題が大きい要素を特定し、市場情報の収集体制の整備や、新規事業の意思決定プロセスの見直し、組織再編の実行スピードを高める仕組みづくりなど、要素に応じた具体的な施策を検討する。検討した施策を実行しながら、3要素のバランスを継続的に見直していくのが一般的な流れである。
Q4. コンサルティングプロジェクトでは、ダイナミック・ケイパビリティはどのように扱われているのか。
コンサルティングの現場では、企業の中長期的な変革プロジェクトにおいて、自社の組織能力を診断する際の理論的な枠組みとして参照される。
また、M&Aによって獲得した経営資源を自社の組織にどう統合・再編するかを検討する場面や、新規事業開発における意思決定プロセスの設計を支援する場面でも、この考え方が活用される。
Q5. ダイナミック・ケイパビリティについて、どのような誤解が生じやすいのか。
よくある誤解の一つは、ダイナミック・ケイパビリティは特定の部署や役職者だけが担う能力だと考えてしまうことである。実際には、センシング・シージング・リコンフィギュアリングは、経営層から現場に至るまで組織全体で担われる能力として論じられている。
もう一つの誤解は、優れた経営資源を持つ企業であれば自動的にダイナミック・ケイパビリティも備わっていると考えてしまうことであり、実際には、資源の保有とそれを組み替える能力は別個の概念であり、豊富な資源を持ちながら環境変化への対応に苦しむ企業も少なくない。
Q6. ダイナミック・ケイパビリティの考え方は、どのような場面で活用されているのか。
当初は経営学の理論的な議論として発展してきたが、現在では、デジタルトランスフォーメーションへの対応や、事業ポートフォリオの再編、M&A後の組織統合など、企業が環境変化への適応を迫られる幅広い実務の場面で参照されている。
変化の速い業界ほど、経営資源の優位性だけでは説明できない企業間の業績格差が生じやすいため、こうした場面でこの理論の視座が実務的な示唆を提供しやすい。
まとめ(実務整理)
ダイナミック・ケイパビリティは、急速に変化する事業環境に対応するため、企業が保有する経営資源や組織能力を感知し、機会を捉え、絶えず再構成していく組織的な能力を指す経営学の概念である。
1997年のティース氏らによる提唱を起点に、2007年のセンシング・シージング・リコンフィギュアリングという3要素への分解を経て、経営戦略論における重要な理論として発展してきた点に実務上の意義がある。
リソース・ベースト・ビューとは、競争優位の源泉を資源の保有そのものに求めるか、資源を組み替える能力に求めるかという点で異なる考え方である。
コンサルティング業務との関係でいえば、経営資源の保有状況だけでなく、その資源をどう機動的に組み替えるかという視点が、企業変革関連プロジェクトにおいて参考になる。
採用面接との関係でいえば、理論の用語を逐一暗記する必要はなく、環境変化への適応力は組織能力そのものだという考え方の骨格を押さえておけば、十分な知識基盤となる。
出典
- Wiley Online Library「Dynamic capabilities and strategic management」(David J. Teece, Gary Pisano, Amy Shuen, Strategic Management Journal, 1997年)
https://sms.onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1002/(SICI)1097-0266(199708)18:7%3C509::AID-SMJ882%3E3.0.CO;2-Z - Wiley Online Library「Explicating dynamic capabilities: the nature and microfoundations of (sustainable) enterprise performance」(David J. Teece, Strategic Management Journal, 2007年)
https://sms.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/smj.640 - Harvard Business School「Dynamic Capabilities and Strategic Management」(論文実績・受賞歴ページ)
https://www.hbs.edu/faculty/Pages/item.aspx?num=3256
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